天幕ほしぞら

テントに泊まる登山とロングトレイルの旅

巡礼の道『熊野古道中辺路』1泊2日テント泊縦走(0日目)

神と仏が宿る聖域

紀伊は山の国だ。

熊野灘の海岸線を走っていると、その海の雄大さと美しさに目を奪われるが、目を反対に向けてみると、鬱蒼とした森が海岸線のすぐそばまでせり出していることがわかる。

紀伊半島の下半分、中央構造線以南は、1500m前後の山々が連なる山岳地帯である。この地域は日本屈指の多雨地帯であり、幾筋もの川が峻険な谷を形作り、深い森を育くんでいる。山に入るとそのことがよくわかる。その清流の水は限りなく澄み、深い緑の森は生命力であふれている。

 

日本人は古来からこの自然を畏敬し、崇め、信仰してきた。

仏教伝来以降も、人々の信仰は、形を変え、融合した。そして、「修験道」「熊野信仰」「真言密教」といった宗教を生む。紀伊山地全体が霊場としての性質を持つのだった。

 

2004年に、この霊場とそれらを結ぶ道が世界遺産紀伊山地の霊場と参詣道』として登録された。「吉野・大峯」「熊野三山」「高野山」の3つの霊場とそれらを結ぶ6つの「参詣道」である。

 

霊場と参詣道

霊場と道の関係を簡単にまとめるとこんな感じになる。

「吉野・大峯」は修験道の聖地であり、「大峯奥駈道」は急峻な山々を貫く修行の道である。

熊野三山熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)」は熊野信仰の聖地であり、その参詣道「小辺路」「中辺路」「大辺路」「伊勢路」は全国から熊野三山を目指す巡礼者が歩いた巡礼の道である。

高野山」は真言密教の根本道場であり、「高野山町石道」は弘法大師が開いた道とされる参詣道である。

 

これらの道は総称して、俗に「熊野古道」として親しまれている。

ちなみに、「道」が世界遺産として登録されたのは、フランスからスペインのキリスト教聖地へと通じる「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」についで2件目であった。

 

巡礼の道『熊野参詣道』

修験者の道『大峯奥駈道』を歩いてきた私は、続けて巡礼の道『熊野古道中辺路』を縦走する。熊野本宮大社を出発点に、熊野那智大社を経由し、那智の海を目指す1泊2日の旅だ。

 

熊野が人々に知れ渡るようになったキッカケは、院政時代に上皇が熊野御幸(くまのごこう)を度々行ってからだそうだ。それ以来、庶民にも熊野詣が流行し、「伊勢へ七度、熊野へ三度」と言われるように、大勢の人々が熊野を訪れるようになり、その様子は「蟻の熊野詣」と呼ばれた。

 

 

鎌倉時代建仁元年(1201年)に後鳥羽上皇の熊野御幸に随行した藤原定家の日記によれば、旅は原則徒歩で移動し、荷物は伝馬で運ばせ、それらによって道が整備されていったという当時の様子について記されている(wikipediaより)

 

 

昔の人も徒歩で旅をしたのだと思うと(当たり前だけど)、胸が熱くなる。

イカーのはしくれとして、やはり熊野古道は歩いておきたい道なのだ。

(2019年5月)