天幕ほしぞら

テントに泊まる登山とロングトレイルの旅

山伏の道を歩く『大峯奥駈道』テント泊縦走(0日目)

憧れ

いつか歩いてみたいと思ってきた道のひとつが『大峯奥駈道』だった。

はじめて、この山深き道を知ったのは、テレビで見た修験道のドキュメンタリーだったと思う。

 

白装束と白い足袋に身を包み、額に黒いマスのようなものをひもでくくりつけた人たちが、黒い岩だらけの山を風のように歩いている。そして切り立った崖から体を投げ出したり、滝に打たれたり、空にむかってほら貝を吹いている、というような断片的なイメージを思い出す。

 

それは都会に暮らしている私の日常とはかけ離れた、非現実的なイメージだった。

修験者は「山伏」とも言われるが、山伏という存在自体がミステリーだ。その山伏たちの行場である山岳路は限られた人だけの立ち入りが許される霊場であって、一般人の私には無縁の領域であると思っていた。

 

そんな大峯奥駈道が、他のロングトレイルと同じように一般人が歩ける縦走路であることを知ったのも、随分と昔のことだったと思う。

それからは、自分とは無縁の聖域から、「いつかは歩いてみたい」という現実の夢に変わった。

しかし、関東に住んでいた私にとって、紀伊半島の真ん中を貫く大峯奥駈道はやはり遠い場所であることに変わりはなかった。

 

大峯奥駈道を歩く機会がやってきた

大峯奥駈道は普通のトレイルとは「何か」が違う。

そんな風に感じていた私は、何か特別な巡り合わせのようなものがなければ歩くことはないだろうなと思ってきたが、その機会が突然巡ってきた。

 

そのキッカケは、昨年関西に引っ越してきたことだ。

大峯奥駈道の登山口に電車で簡単に行ける場所に住むことになった。これは全く予期していなかった。

そして、時間的余裕ができた。今年のゴールデンウィークは10日間なので、充分なゆとりがある。

さらに、登山の経験が増えて、自信ができたことも大きい。いまなら歩ける気がするし、いましかない気もする。

 

「歩くなら、今年しかない」

春先に、大峯奥駈道を歩くことを決めた。

 

大峯奥駈道とは?

あらためて、大峯奥駈道を見直してみる。

 

大峯奥駈道

大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)は、吉野と熊野を結ぶ約90kmの古道だ。修験道(しゅげんどう)の祖、役行者が開いたとされる道で、修験者の修行の道である。その道は2000メートル近い峻険な峰々を走っていて、その主稜線沿いには75の靡(なびき)と呼ばれる行場がある。一部の区間は、宗教上の理由から女人禁制である。 

大峯奥駈道は、熊野古道として知られる参詣道の一つであり、2004年に『紀伊山地の霊場と参詣道(きいさんちのれいじょうとさんけいみち)』として世界遺産に登録されている。

熊野から吉野へ向かうのを「順峰(じゅんぶ)」、吉野から熊野へを「逆峰(ぎゃくぶ)」といい、今回は吉野からスタートした。

 

 

※修験道(しゅげんどう)

山へ籠もって厳しい修行を行うことにより、悟りを得ることを目的とする日本古来の山岳信仰が仏教に取り入れられた日本独特の宗教である。(Wikipediaより)

 

 

GWに大峯奥駈道と中辺路を歩くプランを立てる

今回は、5泊6日で大峯奥駈道を歩くプランを立てた。

一方、ゴールデンウィークは10日間ある。

4日間余らせるのは、もったいない……

 

そこで、あるブログを参考にして、同じルートをたどることにした。

すなわち、大峯奥駈道に加え、同じ熊野古道のひとつである中辺路を歩くプランだ。吉野から熊野本宮大社まで踏破したあとは、そのまま中辺路を抜けて那智の海を目指す。

全行程で約130km、7泊8日のテント泊縦走になる。

 

歴史のある道をバックパックを背負って歩くのは、四国遍路以来だ。

四国遍路は1200キロを50日ほどで歩いたが、今回は130kmを7泊8日。

計算上は歩けるはずだが、今回は本格的な山岳路なのでかなり勝手が違うだろうと思った。

 

装備は、四国遍路や海外トレイルの持ち物をベースに決めた。というか、古い装備しかもっていないのでそれでいくしかない。

当時かなり軽量化を考えたけど、それでもベースウェイトは10キロを超えている。それに、トレッキングポールや食料、水を足すと20キロ弱になった。こんなに重い荷物を背負って歩いたことは過去にない。

途中に小屋があるが、6日分の食料はすべて背負い、無補給で行く。中辺路の分は熊野本宮大社付近で調達することにした。

 

「歩こう」と決めたときから緊張している。

出発日はゴールデンウィークの初日、と決めた。

(2019年4月)