北アルプスの縦走路である『裏銀座』と『表銀座』のハイライトは槍ヶ岳です。
しかし、『裏銀座』を歩き始めた初日に霧に包まれてしまった僕は、しばらく視界の限られた登山道を歩いていたので、「槍ヶ岳を見ながら歩ける登山道」だということをすっかり忘れていました。
でも3日目になって、今日の宿泊地が槍ヶ岳山荘であると気付いてからは、槍ヶ岳の存在が気になり始めました。
裏銀座3日目
3日目の午後になって、晴れ間が見え始めた。赤く輝く山肌が美しい硫黄岳(標高2554m)。
どれが槍ヶ岳だろう?
もうそろそろ槍ヶ岳が見えてもいいはずだが、それらしき山がない。槍ヶ岳がどんな形なのかを知らないことにいまさら気付いた。
ヤリはどこだ?
槍ヶ岳はどこなんだ……。
30分に一度ぐらいの間隔で人とすれ違うものの、人見知りの性格のせいで尋ねることが出来ないままズルズルと歩き続けていた。
このままでは槍ヶ岳の姿を見ないまま終えてしまう……。
千丈乗越についた僕は、ちょうど同じタイミングで出立しようとしていたおじいさんに尋ねてみことにした。
「あの……、すいません。槍ヶ岳ってどれでしょうか?」
おじいさんは「これだよ」とあごをしゃくって、目の前の傾斜を指す。目の前にはライトグレーの大きな角ばった岩がゴロゴロしている斜面があった。
そして上を見上げ、晴れ間に顔を出している岩の塊を指差した。
「あれはニセ、こっちの見えないのがヤリ」
やっぱり背が高いから雲がかかって見えなかったんだ。それにしても、その高さがどこまであるのか想像できない。
「あの……、この上に小屋があるんですか」
「あるよ」
「こんな上に小屋が建ってるんですか?すいません、北アルプス、初めてなので……」
「うん、ある」
この岩だらけの急斜面の上に小屋が建っているなんて。今まで通過してきた小屋とは明らかに違う高度だ。頭には岩山に立つチベット、ラサの寺院やドラゴンボールの神様の神殿が思い浮かんだ。
……それって、雲の上じゃないか。
それと同じ場所に今夜泊まるテント場があるのかと思うと背筋が寒くなった。
「みんな途中まで元気に行くんだけど、最後のギザギザでへばるんだ」
おじいさんはあめ玉を舐めながら、「じゃあ」と言ってスタスタと登り始めた。
僕はザックを地面に下ろし、おじいさんが座っていた場所に腰を下ろした。半ば放心状態で行動食のナッツを取り出し、おじいさんの後ろ姿を見守る。おじいさんは軽やかにその斜面を登っていき、やがて雲のなかに消えて見えなくなった。
「これが、ヤリ」
見えているのは頂上ではない。
他のルートから頂上を目指す登山者。ジグザグの登山道を蟻のような登山者が歩いている。
登ってきた道を振り返る。ここまでも充分に高い山を登っていたのに、それを越えて高度を上げていく。
なぜか涙が出てきた。憧れたことなんて無いのに。
槍ヶ岳山荘とテント場
急なガレ場を登る。おじいさんは、「皆へばるんだ」と言ってたけど、気分が高揚しているせいか疲れを感じない。
そして、40分ほど登ると、崖の上にちょこんと乗っかっている槍ヶ岳山荘が見えた。山荘付近は雲が流れていて、一瞬見えたかと思うと、すぐに雲に隠れてしまう。槍ヶ岳の頂上もいまだにどこにあるのかわからなかった。
そして、山荘が目と鼻の先になったところで、突然槍ヶ岳の頂上が姿を現したのだ。
(左上・右上)槍ヶ岳山荘。賑やかで華やかだった。長椅子に座ってコーヒーを飲んだり、輪になって談笑したり。それぞれの時間を過ごす。
(左下)殺生ヒュッテを見下ろす。稜線にはヒュッテ大槍も見える。
(右下)岩に張り付いたようなテント場。風強し。
山頂に到着して頂上が見えていたのは1時間ほど。その後は雲に包まれ、雨が降り出した。
その時点で山頂に登るのは諦めた。
日が暮れかかった頃に雨がやみ、また人がポツリポツリと外に出てきた。
槍ヶ岳で、たそがれる人多数。
そんな場所はそれほどない。
翌朝の槍ヶ岳
翌朝、3時起床。5時にテントを畳み終える頃には晴れていた。
今回は登頂せずに先に進むことを覚悟していたが、急遽、山荘でヘルメットをレンタルした。
頂上へ向かってハシゴやクサリ場をよじ登る。かなりの高度があって心臓がバクバクした。
槍ヶ岳(標高3180m)は日本で5番目に高い。僕にとって初めての3000m峰になった。
頂上から槍ヶ岳山荘を見下ろす。雲に投影された『ブロッケン槍ヶ岳』。
(2019年7月29日)