日帰り最難関の山
「3時起き」なんてことが、低血圧の自分にできるとは思わなかった。
それだけ緊張しているのかもしれない。
今日の山は平ヶ岳。ネットで調べると、「日帰り最難関」という。
往復20キロ。コースタイムは11時間程度になる。
安全を考えて15時までに戻ってくるには、3時起きがベストだと思った。
車の外に出て気配を窺うと、隣の車からゴソゴソと物音が聞こえた。起きるのが早すぎた気もしたが、この時間で大丈夫そうだ。私のほかには、3台の車が停まっていた。
今日はすばやく食事を終えるために、カロリーが高く、火を使わずに食べられる菓子パンを朝食にした。
私は初心者だから遅い出発はしたくない。焦り気味に食事を終え、ヘッドライトを点け、朝4時に出発。
恐らく私が一番手だと思った。
一本の道
ヘッドライトの灯りだけを頼りに山道を歩くのは普通に怖い。
それに私は極度の怖がりだ。お化けも蛇も熊も暗闇もトイレも怖い。
道に間違いがないか、登山口を見落としていないか何度も後ろを振り返りながら歩く。
いつの間にか林道から登山道に入った。
道が細くなり、周りの状況がわからなくなると、出発前に『山と高原地図』をじっくりと読んでいてよかったと心底思った。そうでなければ、もっとパニックになっていたに違いない。
霧で何も見えなくなっていた。
見えているのは、足元の細い道だけだ。
ヘッドライトでまわりを照らしてみても、光は白い霧に反射するのみ。その真っ白な世界に、白い道が一本だけスーッと奥へと向かって消えていた。
左右には「何もない」という気配だけを感じる。
歩いているところは痩せ尾根のはずだった。
昨晩見た地図に「注意」と書いてあったところだ。いま自分が歩いているのはちょうどその痩せた尾根の上で、おそらく両脇は崖になっているのだろうと想像した。
まさか奈落の崖になっているわけではないだろうが、まったく見えないから不安が増す。地図を読んでいたから歩いていられるけれど、もし霧の中に突然こんな道が出てきたら歩こうとすら思わないに違いない。
周りを気にするとバランスを崩しそうな気がした。気にしないようにして、道にヘッドライトを固定し、歩を進める。
こんなに怖い思いをして登山をする意味があるのか。
でも、せっかく来たのだから頂上まで行きたい。
さっきから同じ問答を何度も繰り返している。
痩せた尾根を越え、岩場に垂れ下がったロープにしがみついていると、息が荒くなっていることに気付いた。
何度も引き返そうと思うが、もう少しで終わるんじゃないか、もう少しで終わるんじゃないかという気持ちで進んでしまう。
そうして、気持ちが切れかかった頃。
ヘッドライトがなくても周りの様子が見えていることに気付いた。
5時半に、完全にヘッドライトがいらなくなった。
周りが見えると、自分が小さな尾根をよじ登っていることがわかった。
ハー、ハー、ハー……
息が荒れている。
水を飲もう、と思う。
そして、一息つき、歩いてきた道を振り返ってみると、いままでの恐怖がすべて吹き飛んだ。
そこは雲海だった。周りが見えるようになったのは、雲の上に出たからなんだ。
うぉぉぉー!
そして、すぐに山の向こうが明るくなりはじめ、6時に日が顔を出した。
紅葉の平ヶ岳
山の向こうから日が差し込むと、暗く眠っていた山肌が一気に赤く染まった。
この旅で一番の紅葉だった。
もう、恐怖心はなくなっていた。頬が緩んだまま、ガシガシと尾根をよじ登っていく。
そして、下台倉山に到達。記念写真を撮る。顔は、晴れ晴れとしていた。
そこからは、水平方向に尾根を歩いた。途中はコメツガの原生林になり、濡れた木道では何度か転びそうになった。
平ヶ岳(ひらがたけ・標高2141m)は、新潟県と群馬県にまたがる日本百名山。今回は、鷹ノ巣駐車場から山頂までを往復する鷹ノ巣コースを歩いた。平ヶ岳は、百名山のなかでは日帰り最難関と言われるそうだ。
「行程が長い上に山中に山小屋はなく、キャンプも禁止されているため、健脚者向けの山である。よって、登山口を早朝に出発する必要がある。(Wikipediaより)」
山頂の高層湿原
池ノ岳?の前からは、泥の道の急登になった。
山肌をストレートに貫く道を一気に直登する。登りきると広々とした湿原に出た。
枯れた草原のなかに、池塘(ちとう)と呼ばれる池が点々としている。
考えてみれば、頂上が平らな湿原になっているのは不思議な光景だ。
頂上はなぜ広くて平らか
どうしてこんなに広くて平らな山頂ができたのだろうか。大白沢山、巻機山、会津駒ケ岳など平ヶ岳をとりまく山々の山頂にも平坦なところがある。このような地形は、古い平坦な土地が隆起し、浸食される以前の地形を今にとどめていると考えられ、太古の昔、平ヶ岳は大平原の一部だったことが思いおこされる。
-環境庁・中越森林管理署・新潟県(頂上にあった看板より)
焦らずに。でも急いで。
頂上で写真を撮っていたら、団体がやってきた。団体は他の場所から歩いてきたそうだ。
引率の人に何時に出たのか聞かれたので答えると、わりと早いペースで来ているという。
「早い」と言われても、ピンとこない。
早く歩かなければ、日が暮れてしまうから焦っているだけだ。
暗くなってから、またあの尾根を歩きたくはない。雨が降りだしたら……、後続がいなくなったら……。できるだけ先に行っておきたい、後ろに追い付かれる前に……。早く歩けば、また膝を傷めてしまうのではないかとも思ったが、それでも急いでしまう。
この日は水を2.5L、ヘッドライトは新品の電池を用意した。
水場はスタート直後の沢しかなかったと思う。結果的に水はだいぶ余ったけど、用心に越したことはない。
麓では、また霧が発生しつつあった。
しかし、明るい間に尾根までやってくることができたので安心した。
尾根の上から見下ろすと、登山道は綺麗な線を描いてふもとまで伸びていた。行きのときは、登山道は断崖の上を走っているのかと想像したが、そんなことはなかった。でも、明るい間に歩いてみても危険な箇所はいくつかある。注意は必要だと思った。
写真を撮りつつ、振り返りつつ、尾根を楽しむ。
沢を渡ってからは、湿度の高い森になった。朝は暗くてわからなかったが、深くて美しい森だ。
そうして車にたどり着いたとき、時計を見ると15時を指していた。
20キロを11時間。もうヘロヘロだ。
バックパックを背中から下ろしたり、袋のなかから車の鍵を探すだけでも疲労を感じた。
ドアを開けノロノロと荷物を車内に放り込んでいたら、すぐに単独の登山者がひとり、またひとりと下りてきて、あっけにとられた。湿原から下山中にすれ違ったのに、なんという速さだ。
やっぱり、俺は遅いじゃないか笑
しかも、ヘロヘロで動けねーし。
早々に、明日は休もうと思った。
(2017年10月11日)