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天幕ほしぞら

旅とシンプルな暮らし、そしてアウトドアのこと。

「完璧主義」を手放す

ゲーム三昧のあと、突然動き出した

趣味のアウトドアを中心にした月間の計画を立てて、それに合わせて休日を取った。

 

いままでは暦に合わせて、これといった理由もなくバイト先に希望休を出していたが、予定を先に組むと毎日が忙しくなった。

基本的にはじめてのことばかりに手を出していて、たとえば、アウトドアの雑誌を読んだり、地図読みの勉強をしたり、登山に行ったりしている。

 

先日の記事にも書いたように、3週間にわたるゲーム三昧の日々もそれなりに楽しかった。

でもいまは、それ以上に、自分自身が納得する生活が送れている。

 

ブログに書きたいことが溜まっている

おかげで、ブログに書きたいことが溜まりに溜まった。

どんどん更新したいのだが、どんどん溜まっていく一方だ。

 

書きたいことが処理しきれない理由のひとつは、文章の書き方を知らないからである。

PCの電源を入れたらWordを立ち上げて、2時間、3時間と、思いつくことをつらつらと書き連ねていくから、いつも収拾がつかなくなる。

結局何が言いたいのか自分でもわからなくなり、ボツになってしまう。

 

文章術を身につければいいのか?

では、文章の書き方を学ぶために、「誰にでも伝わる文章の書き方」みたいな本を何冊か読むことが解決策になるだろうか?文章術を知れば、いまよりも書くスピードが早くなりそうではある。

 

しかし、期待するほど変わらない気がする。

なぜなら、ぼくのなかに、もっと根本的な原因が横たわっていると思うからだ。

 

その根本的な原因とは、自分のなかにある「完璧主義」だ。

「せっかくだから、うまく書きたい」という気持ちのせいで、書きたいことが処理しきれずに、どんどん溜まってしまうと思うのだ。

 

そんなのブロガーなら当たり前の感情ではないか、という人もいるかもしれない。

良い文章を書いて、多くの人に読んでもらいたい。

ブログを書く人は、皆がそのように思っているだろう。

せっかく買うなら、長持ちしそうなものを。せっかく映画を観るなら、できるだけ真ん中の席で。

「せっかく〇〇するなら、より良いものにしたい(でありたい)」という気持ちは誰にでもある。

 

しかし、完璧主義の人は、その気持ちがとても強い。強すぎる。

“普通に”良いモノでは満足できず、「もっと、もっと」と求めてしまうのがいけない。

 

だから、仮にぼくが文章術を学んで、今より良い文章を、今より素早く書けるようになっても、何も変わらないと思う。

「もっと良いモノが書けるのではないか」と神経をすり減らして書き続けてしまうに違いないから。

 

完璧主義を手放す

そもそも、「良い文章を書きたいが書けない」という経験は、大作家にだってあるだろう。それをヘタレブロガーが、ちょろちょろっと勉強して上手く書こうと思っても無理なこと。それなのに、「(大作家のように)上手く書けるかも」ぐらいに勘違いしているのが完璧主義者だ。

 

もう、そういう「上手く書きたい」とか「読まれる記事を書きたい」という気持ちは、手放したほうがいいかもしれない。

神経をすり減らして書いても、期待したほどPVが伸びずにヘコむことは毎度のことだ。

 

それよりも、「行動」して自分自身が充実していたほうが、より健全といえる。そして、行動して自分自身が楽しんでいれば、共感してくれる人も増えるかもしれない。

 

書く時間を削って「行動」を優先すれば、もっと書きたいことが溜まってしまうだろう。

それは、もう放っておこう。「書かなきゃいけない」という気持ちにも蓋をしよう。

 

ブロガーにとって書くことは喜びだが、それ以上に何かを見たり、考えたり、思いついたり、経験することのほうがより大切なことだ。